◆Chapter 2-38 謳われざる戦い〈前編〉
この話は、3分割した38話の前半部分となります。
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→ ◆Chapter 2-38 謳われざる戦い〈中編〉
薄暗い倉庫の中に一行は立ち尽くしていた。
トンネルを抜けた彼女たちが辿り着いたのは、ウィンドヘルムの港の外れの倉庫街、その中の一つだ。
「まさか、こんなところに繋がっているなんて・・・」
地下道はシャッターシールド家の所有する貿易品の一時保管庫に繋がっていた。内部は何かに引っかき回されたかのように荒れている。棚に収められていた木箱や道具は床に落ち、樽も横倒し。彼女が驚いている脇ではアルフレドが何かをつまみ上げている。
それは・・・人間の骨だった。しかし、倉庫は空であった。
「ここに死体が運び込まれていたのは間違いなさそうだ。しかしどこに行った?」
悪臭に顔を歪めながら、彼は仲間たちを見た。
「もう自分の足で歩いて行っちゃったのかも」
「笑えんな」
「ごめん・・・」
ブラッキーの言葉にアスヴァレンとイェアメリスは顔を見合わせた。エランディルが第一陣と呼んでいた襲撃・・・死者の行進はもう始まってしまったのだろうか。
とにかく追わなければ。倉庫に見るものがないと断じた一行は、急ぎ外に出る。
そこで彼女たちは桟橋の惨状に再び目を奪われた。
無法者に蹂躙された爪痕生々しい港。碇泊しているどの船にも人影は見えない。
街路のあちらこちらには倒された箱やら樽やらが転がり、桟橋の間の水面には死んだ役夫が氷と一緒に波に揺れている。
アルゴニアン役夫の居住場所であるアセンブリッジからは火の手が上がっていた。
「この感じだと・・・まだそう離れてねぇな」
アルゴニアンの死体を検分していたベアトリクスが、犠牲者たちが死んでからそれ程時間が経過していないことを告げる。
彼女たちは急ぎ港の倉庫街を突っ切ると、長い石の階段に足を踏み入れた。
平時には城内に物資を搬入するのに使う、そして人々が港に向かうのに使用する通路だ。奥の方から微かに聞こえてくるのは悲鳴や怒号だろうか。城内と港を隔てる門に辿り着くと、その扉に熱で融解したような大穴が空けられているのを発見した。既に死者の行進は侵入を果たしてしまったようだ。
イェアメリスは無残な扉を見つめると唇を噛みしめた。
「だからあれほど忠告したのに・・・」
「アズラにかけて、こんな通り方をするような連中だ。仮にお前の話を聞いたとしても、これでは守れたか・・・」
先に彼女たちが利用した下水道の抜け道然り。ウインドヘルムは外部に対しては鉄壁の城塞だが、ストームクロークは人手が足りず、細かいところの運営には様々な綻びが生まれていた。
ウルフリックも彼女の忠告を完全に無視した訳では無かった。彼は配下に命じて下水道を封鎖したり、警備を強化したりと多少の行動を起こしていた。しかし正面の”橋の大門”、そしてこの”港の大門”、その堅牢さを過信していないとはいえなかった。
普段であれば東帝都社とシャッターシールド家が分担して港を管理、目を光らせていたのだが、帝国軍の河口封鎖で港が機能しなくなると、それにつられてほとんどの人が引き上げてしまった。アルゴニアン役夫達はまだ居残っていたが、彼らはこの街ではダンマー達よりも更に一階層低く見られる棄民扱いであり、率先してノルドに何かを伝えるようなことはしなかった。
そして半年も経つと、港は無法者が人の目を逃れる絶好の隠れ家と化す。
そのことを知っていたかかどうか。エランディルが運び込んだ死体は、悪臭騒ぎが出るまで気付かれることもなく、水面下で着々と凶事が準備されてきたのであった。
「くそっ、好き勝手しやがって」
どうやって城内に入ろうかという問題は、既に敵が解決してしまっていた。気が逸るのを隠そうともせずに鎚を構えるテルミンを先頭に、彼女たちは穴の空いた扉門を踏み越えて城内に侵入を果たした。そこは灰色地区の外れ、港の大門前の共同区画だ。
レッドマウンテンの噴火から疎開してきたダンマー達は、ノルドに与えられたこのわずかな地区を埋め尽くすように木造の住居を増築してきた。物資の搬入を妨げないよう門の周辺だけは建築を禁止されていたが、それも長い年月の間にはおざなりになる。今この場所は上下左右から伸びる違法建築によって侵食されていた。
一行は辛うじて広場の痕跡を留めている井戸のまわりに集合し、周囲の状況を確認した。
上へ上へと積み上げられた建物群は、複雑な迷路のようになっている。どちらが街路かも分からない。
イェアメリスは進むべき方向を尋ねようとテルミンに目を向けた。
隻眼の女戦士は黒煙で見通しの悪い街路の一つを覗き込むと、ダメだというように首を振った。
「道が塞がれちまってるな」
その足元には既に事切れたダンマー達が何人も横たわっている。
普段は買い物客で賑わうこの場所も、いま生きている者は彼女たちしか居ない。辺りでは小屋から逃げ出してきたと思われる鶏が悲しそうな鳴き声を上げていた。
テルミンの言うとおり、左手、そして正面の、ウインドヘルムの中央部に繋がる街路には崩れた建築物が落下していた。それに加えて火の手も上がっており、アッシュ・スポーンが爆発したことを匂わせる。煙も充満して通ることができない。イェアメリス達はテルミンの先導の元、スケイスクローをかき分け、唯一道として機能しそうな灰色地区の通りに駆け込んだ。
「居たっ!」
アッシュスポーンはゆっくりと街路を歩き、目に付くもの、人を襲い始めている。
街路とは言っても灰色地区の街路だ。建物や道端を占拠する物資によって幅はかなり狭い。こんなところに押し込まれたらどんな被害が出るか、イェアメリスは想像すると恐ろしくなった。
そして敵はそれをよく心得ている。エランディルはただ無秩序に死者達を放ったわけではなく、狂信者達にハートストーンの欠片を持たせ、アッシュ・スポーンを制御させていた。大まかに向かう方向を指示するぐらいしかできないが、この虐殺戦においてはそれで充分。彼らは街への被害を最大限拡大させるため、人々を灰色地区に押し込めていった。
一団を指揮する狂信者は侵入してきた一行を認めると、数体のアッシュスポーンをけしかけてきた。死者の行進をはじめて見る住人達には為す術もなかったが、彼女たちはもうそれを何度も切り抜けてきている。すぐに反応し、怯むことなく立ち向かう。
アスヴァレンが2体を屠り、炎を掻い潜ってきた別の一体をベアトリクスが叩き潰す。その隙に回り込んだブラッキーが背後からメイスで狂信者をぶんなぐると、相手は雪と土の混ざった地面に倒れこんで動かなくなった。
制御を失うと、アッシュスポーンの何体かが見境なく暴れ始め、上階に昇るための櫓に突っ込んで爆発を起こす。
しかしこの程度では、灰色の群れは些かも立ち止まる気配は無い。狂信者はまだまだ侵入しているようだ。
火災の発生した街路を見ながらベアトリクスは毒づいた。
「デイゴン(くそっ)! またこの化け物の相手をする羽目になるとは」
この死に際の爆発と炎が厄介だ。北伐軍の陣地はこれに壊滅させられたといっても過言では無い。あの時の死者の行進は制御されておらず、無差別に破壊と火災を振りまいていた。今回はそれが狙って行われているから余計だ。
灰色地区のダンマーたちは、炎とアッシュスポーンに押し出されるように避難している。しかしその動きは芳しくなかった。奥で何かがつっかえているような・・・、イェアメリスの目には追うもの追われるもの両者の緩慢な動きがそのように見えてならなかった。
もともと少なかった衛兵は既に持ち場を放棄、もしくは死に、すでに行進に取り込まれてしまっている。アスヴァレンがエリンヒルから生還できたように、ロルカーンの涙を浴びてもエルフ・・・マー種は変異しない。しかしそれが幸運といえるか・・・恐怖の表情を浮かべたままのダンマーの死体が街路に点々と転がっているのを見る限りではとてもそのようには思えない。エランディルは主目的のノルドだけでなく、アルゴニアン、そしてダンマーと、この街に住む者を種族問わず無差別に襲っていた。
灰色地区はあちらこちらから煙が立ち上っており、複雑に積み上がった建物の中にもまだ相当数の人が取り残されているようだ。あちこちから悲鳴が聞こえてくる。
「あそこに人が倒れてるわ!」
通りがかり、呻き声に気付いて横を見ると、ダンマーとネッチが並んで倒れている。建物に入ろうとして落ちてきた瓦礫に打たれたようだ。
「うう・・・」
瓦礫は扉を塞いでしまっている。なんとなく見覚えがあるような気がして看板を見ると、先日訪れたニューグニシス・コーナークラブの前であった。
イェアメリスとテルミンは協力して瓦礫をどけはじめた。扉を塞ぐ分はどうにもならないが、幸いにして人とネッチに降ってきた分は大した量ではなかった。人もネッチもがれきに当たってショックを受けただけのようで、まだ息はある。二人はまずダンマーを引きずり出した。
灰色地区の基盤部分は石造りだが、上に立っている建物はほとんどが木造建築だ。火災による延焼が怖い。
「あっ、おまえ!」
二人の脇にブラッキーが駆け寄って来る。そしてダンマーが自力で立ち上がるのを見るとネッチの方にかがみ込んだ。少女にはこの生き物に見覚えがあったのだ。錯乱しているのか、子供ネッチは威嚇するように電撃のまとわりついた触手を振り回している。
「ねぇ、大丈夫、大丈夫だから・・・」
ブラッキーは言い聞かせながら、どうしたものだろうとこちらを見ている。テルミンは肩をすくめ、イェアメリスもどうしていいか分からない。オロオロしているとアスヴァレンが進み出て呪文を唱えた。
子供ネッチは一瞬、抗議するように震えたが、すぐにおとなしくなった。
鎮静呪文が効いて触手の帯電が収まると、少女は子供ネッチを瓦礫から引っ張り出した。
アスヴァレンがおとなしくなったネッチの子供に回復の薬を与えるのを、ブラッキーは感心したように見守った。
「その薬って、ネッチにも使えるんだ」
「正直どれくらい効くのか分からんが、無いよりはマシだろう」
ネッチの横に倒れていた男。こちらに沈静は必要なさそうだった。体のあちこちを打ち、擦り傷をこさえていたが命に別状は無い。イェアメリスたちはこのダンマーを知っていた。役に立たない入城手形を売ってくれた古物商のレヴィン・サドリだ。
助け出されたサドリはアズラの感謝の印を切ると、イェアメリスたちに事情を説明した。彼が言うには、このあたりのダンマー達は二手に分かれて逃げたという。一つは灰色地区の奥のほうに、そしてもう一つはこのニューグニシス・コーナークラブに。しかし見てのとおり、酒場の入り口は瓦礫で塞がれてしまっている。
「じゃぁ、逃げ込んだ人は・・・」
知り合いが居るわけではないが一度は世話になったこともある酒場だ。入り口が塞がれて火災に襲われれば中の人達に逃れる術は無い。イェアメリスとテルミンは急いで救出しなければと瓦礫に手を伸ばしかけるが、サドリに止められた。
「どうして止めるの? こんなところに閉じ込められたら!」
「アズラにかけて、大丈夫だよお嬢さん」
サドリは酒場の地下に井戸があり、城外に通じる隠し通路に繋がっている。そこから逃げ出せると説明した。それが分かっているからこそ、ここに逃げ込もうとしていたのだと。
「井戸・・・」手を止めたイェアメリスはため息をついた。「井戸にはあまりいい思い出がないわ」
「焼け死ぬところだったからな」
テルミンは頷くと、あらためて救い出した古物商に向き直った。
「だけどサドリのおっさん、アタイもそんな井戸のこと聞いたことなかったぜ。どう言うことだよ」
「ダークエルフには秘密が多い、知っておるだろ?」
サドリはニヤリと笑った。
「テルミン、お前さんやブランウルフは親ダンマーだが、この地区のダンマー皆が理解がある訳でもない」
確かに、酒場の主人アムバリスのようにノルド嫌いをこじらせている者も少なくない。
テルミンは悪友のことを尋ねた。「そういえば、メロトはどうした? あいつも中か。その井戸ってやつから行ったのか?」
サドリは首を振った。
「いや、彼女は町に出ていたと思うが・・・」
「じゃあ急がなきゃ!」
サドリが言うには灰色地区の先は避難民が集中して渋滞になっているという。メロトはそこに巻き込まれているかも知れない。
「まてまて!」
古物商は咳き込みながら、逸るイェアメリスを留めた。
「この先進んでも炎に突っ込むだけじゃ、セラ。それよりは別の道を考えた方がいい」たしかに、狭い路地のあちこちに、既に火がまわっている。煙も充満しつつあり、広いところに出なくては窒息の危険があった。
灰色地区は縦方向に何重にも積み上げられた木造のスラム街だ。地上には混乱する避難民があふれていて思うように進めないだろう。一人と一匹(?)を保護した一行は、サドリの提案を受けて灰色地区の屋上に上がることにした。
・・・
「うえっ、げほっ・・・」
ところどころから立ち上る煙に阻まれ、視界が悪い。
櫓だか住居内の階子だか分からないようなところを昇り、イェアメリス達は灰色地区の屋上に出た。辛うじて雨露は凌げるのだろうが、こんなところに押し込められて、人はどんな生活をしているのか。イェアメリスはアスヴァレンの差し伸べた手につかまって上へ上へと昇りながら、そんな感想を抱いていた。難民として暮らしている同胞を見て、彼はどう思っているのだろう?
灰色地区の屋上は一言でいって乱雑そのものであった。無軌道な増築のせいで、どこまでが屋根で、どこまでが通路か分かりにくい。そして更に悪いことにそれらが雪のベールを被っている。下手な足場に体重をかけたら真っ逆さまになる。しかしアッシュ・スポーンと戦いながら進むしかできない街路よりはましだ。
サドリと同じことを考えている避難民も多く居た。屋上には少なくない数のダンマー達が逃れてきていた。屋根の上で肩を寄せ合って途方に暮れている家族、恐る恐る下の様子を伺っている者、なんとか街から逃れようと城壁を目指す一群。
一部は既に城壁に辿り着き、そこから街の外に逃れようとしている。とはいえ城壁の高さは10メートルを優に超える。ぱらぱらとこぼれるように向こう側に消えていく影は飛び降りているのだろうか。いくら下は積雪厚い地面だといっても骨折、ヘタをすれば命を失いかねない。かといってこのまま街に居ても殺されるか火にのまれるか。イェアメリスは凄惨な光景に息を呑んだ。
「ああ・・・また間に合わなかった!」
イェアメリスは怒りとも悲しみともつかぬ嘆きをもらし、鼻をすすった。
通り過ぎる難民達と肩がぶつかり、よろけた彼女を支えながらアルフレドが怒鳴る。
「メリスちゃん、まだ街が滅んだわけじゃない!」
エランディルは滅さなければならない。あの狂った男が生きている限り、不幸は何度でも繰り返される。傭兵の声に頷くと、彼女は目的地である王の宮殿を見据えた。
「おまえさんたち、宮殿に行こうとしているのか?」
サドリは一息つくと、イェアメリスたちを胡散臭そうに見た。
「お前さん達テルミンの連れじゃろ。ストームクロークの筋にも見えんが・・・まさかボエシアの善行。この混乱に乗じてウルフリックを暗殺しようと・・・」
「はっ?!」
イェアメリスは驚いてテルミン、アルフレドと顔を見合わせた。
「そんな分けねぇだろ、じいさん。逆だよ、逆」
「そうよ、あたしたち、この襲撃を食い止めて、ウルフリックを救おうとしているの」
「ウルフリックをねぇ・・・」
サドリは一行と同じように宮殿を見上げた。宮殿は屋上からでもまだ上に見える。
やはりサドリもダンマーだった。ノルドたちと適度に付き合い、商売も悪くはない彼でさえこの反応だ。ウインドヘルムにおける民族間の溝は、異邦人である彼女たちの想像をはるかに超えているようだ。
「いろいろ言いたいことはあるが、ワシは行かんぞ」
「ああ、付き合わせるつもりは無い、だけどとにかく安全なところまでは一緒に来た方がいい」
「ふむ・・・お前さんはノルドだが、幾分マシなようだな」
どこか適当なところで安全に逃がしてやるというアルフレドのひどく良識的な提案を聞くと、サドリもそれ以上文句を言わず先頭に立って一行を導きはじめた。
助けた古物商の案内を命綱としながら、一行は恐る恐る街の中央部を目指す。
少し進むと、彼女たちは地上の住人達の避難がなぜうまく行っていないのかを理解した。
渋滞が起きるのも宜なるかな、灰色地区の出口であり中央区に通じる街路がノルドたちによって封鎖されているのだ。
木製の杭や横倒しにした荷車などでバリケードが築かれ、その隙間を武装したノルドの住人達が通せんぼしている。
「そんな!」
逃げ道が塞がれているのを見たイェアメリスは、足下の街路に目を走らせた。
渋滞になった難民達の後方は煙に霞んでいるが、悲鳴が聞こえているところを見ると死者の行進に襲われているに違いない。
実際、後尾のダンマーは必死に防戦しているが、急に現れた化け物たちに抗いきれず、押され、一人また一人と死者に呑まれてゆく。
このままでは灰色地区は全滅してしまう。
見ていられなくなったイェアメリスは身を翻すと、下に飛び降りた。
「ねぇちゃん!」
「あっ、おいっ、メリスちゃん!」
ブラッキーとアルフレドが慌てて手を伸ばしたが、二人の手は空振りに終わった。
屋上から飛び出したイェアメリスは、10メートル近い高さを落下すると見事に着地を果たしてのけた。着地から立ち上がるイェアメリスを見るとブラッキーは胸を撫で下ろした。
「ええーっ、ここまで来たのに・・・」
追おうにも、真似して飛び降りるわけにはいかない。イェアメリスの衝動的な飛び降りは、吸血鬼の肉体を持つからこそ為せるわざであった。
「メリス、落ちたのか?!」
下の状況を見ていないアスヴァレンはイェアメリスが屋根から落ちたと思ったらしい。
「ちがうよ、飛び降りたんだよ」
近くに降りられる場所はないか急いで視線を巡らせると、少し後ろに中層に降りる渡し板がある。少女たちはそこに急いだが、横で大きな叫びが上がると中断せざるを得なくなった。避難していたダンマーの一家が、屋根の上に飛び上がってきた何者かによって襲われたのだ。
煙が立ち上り、木片と雪が飛び散って屋上の一部が崩壊する。死者の行進は地表を這いずることしかできないのに、こんなところまで上がってきたのは何者だろう。警戒するブラッキー達の前に姿を現したのは太い腕・・・エランディルの放った異形の戦士ウルーモルスであった。
「こいつ・・・なに?」
ブラッキーは現れた大男を見て、驚きの声を漏らした。人間・・・なのだろうか。悪戯好きのシェオゴラスが好き勝手に粘土をこねくり回したかのように、やけに歪な身体をしている。萎縮して針のように細い右腕に対して、トロールの何倍もあるかのような太い左腕。その手には左手の大きさに相応しい無骨で巨大な鉄の棍棒が握られていた。あんな物を振り回せば木造のあばら屋など簡単に解体されてしまう。
「あーもう! どうしたら・・・」
イェアメリスを追って降りようとしていたブラッキーは足を止めた。今いるのは灰色地区の外れだ。斜め横を見上げれば王の宮殿が見える。この屋上から城壁にのぼって伝い歩けば辿り着ける筈であった。しかしせっかく近づいたのに姉は飛び降りてしまった。そして割り込んできたこの化け物。少女は姉と、宮殿と、化け物とを見比べながらやきもきした。
「なんだあいつ、人間か?!」
アルフレドが並んでくると、ブラッキーは首を振った「わけわかんないよ。だけどどう見てもあの武器はヤバいでしょ」大男は難民の家族を叩き潰すと、手近な人間、動く物を見境無く攻撃し始めている。行く手を塞がれているわけでは無いが、野放しにしたら無視できない被害を生むのは間違いない。
アルフレドが大剣を手に取り踏み出すと、その肩をアスヴァレンが掴んだ。
「アルフ、ブラッキー、お前たちは先に行け!」
傭兵は一瞬足を止めたが、頷くと渡し板を駆け下りはじめる。「ブラッキー、来い!」
その後ろに、サドリを守りながらテルミンが続く。
「にいさん、頼んだぜ!」
残ったベアトリクスは、加勢が必要か確認するように、異形の男を指さして見せた。
「一人で大丈夫か。お前、戦士じゃないんだろう?」
「誰に言っている。化け物狩りなら何度もしてきた」
女騎士にとってアスヴァレンは少し腕の立つ錬金術師、そのようにしか見えていない。現にここに来るまでの間、弓で死霊術師の見張りを倒しただけで剣は腰にぶら下げたままだった。彼女の認識は間違いでは無いがその目算は間違っていた。それも仕方のないこと。アスヴァレンは錬金術師ではあるが、アルドゥィンの災厄をくぐり抜け、悪夢のエリンヒルから生還し、闘技場でグランドチャンプを細切れにしてきた戦士でもあった。
アスヴァレンはエオルンドの剣を抜き放つと、女騎士に背を向けて物騒な笑みを浮かべた。
「獲物を独り占めにしたい、そんな気分になることは無いか?」
「ハン。なるほど・・・、なるほどな」
女騎士はいつも冷静に見えるこの錬金術師の以外な一面を見たように、獰猛な笑いを浮かべた。
「冷静に見えて、あんたも内に獣を飼ってるってわけか」
「御託はいい。メリスたちの方を見てやってくれ」
「承知した!」
頷くと、ベアトリクスはブラッキー達を追って下に向かう。それを見届けようともせず、アスヴァレンは異形の男の前に進み出た。ちょうど一人のダンマーが襲われそうになっているところに割り込む。
「あ、あんた。テルヴァンニか?! 助けてくれ!」
襲われかかっていたダンマーの住民は、腰砕けになりながらアスヴァレンの後ろに隠れる。ダンマーの同胞たちを庇ってアスヴァレンは異形の男ウルーモルスと対峙した。
獣のような唸り声を上げ、ウルーモルスが巨大なメイスを振り上げる。彼はそれを避けようともせず正面から迎え撃った。
「ああっ! 潰される!」
救われた男は悲鳴を上げて目を閉じたが、アスヴァレンの剣は相手の巨大なメイスをしっかりと受け止め、押し返す。
「その程度か。お前、エランディルの玩具だろう?」
「ぐる、る・・・?」
メイスをふれば相手は潰れて死ぬ。そういう単純な体験しかしてきていないウルーモルスは、予想外の結果に戸惑ったような声を上げた。それを見上げながら彼は傲然と言い放った。
「いまオレは虫の居所が悪い。黙って死ね」
剣を握り直す彼の手が震えている。メイスの衝撃で痺れたりしたのでは無い。怒り、そして喜びのせいであった。嫌がるイェアメリスに血を飲ませなければならなかった状況、自分を罠にはめたサルモール、そして理由もなく巻き添えになり殺されてゆく同胞の姿・・・それらすべてが彼の中で憤りとなってくすぶり、出口を求めていたのだ。目の前の相手は、それを遠慮無くぶつけられる、これこそ求めていたものであった。
再び襲いかかってくるウルーモルスに対し今度は受けずにかわす。叩きつけられた屋根から飛び散る木片にも構わず、彼は一歩踏み出すと丸太のような腕に切りつける。ウルーモルスは虫でも払うようにその腕を振ってアスヴァレンを遠ざけた。
微かな違和感を覚え、ダンマーの錬金術師は相手を観察し直した。怒りに身を預けているとは言え彼の根幹は冷静そのものであった。
ウルーモルスは腕に切りつけられても全くひるむ様子がない。
「ん? こいつ痛みを感じていないのか?」
普通、生き物が相手であれば攻撃に怯まないことはない。それはどんな達人でも避けようのない、反射的に身を護る動作だ。しかしこの相手にはその反応が無い。
「まさかとは思うが、死体か?」
攻撃によって怯むことを想定した戦い方ではこちらが不意を突かれてしまう。相手がゾンビである可能性に思い当たり、彼は戦い方を変えることにした。
力任せだが単純な大振りを繰り返す相手を掻い潜って懐に入ると体当たりをかます。バランスを失って仰向けに倒れた相手の首を狙う。
「ボエシアへの手土産だ!」
そう言うと彼の筋肉が盛り上がる。最初に相手の一撃を撥ね返したときに見せた膂力。彼の半分のノルドの血由来の力だ。倒れたウルーモルスに跨ると彼はそのまま剣を押し込み、首を貫き通した。
「グル、ア! ガッ!」
呪うような声を上げると痙攣し、隻腕の異形戦士は動きを止めた。
「フン・・・死んだところを見ると、思い違いだったか」
倒れたウルーモルスの握りしめる巨大なメイスを見下ろしながら、彼は独りごちる。そしてブラッキーが珍しい武器をコレクションしているしていることを思い出して肩をすくめた。
「重いメイスが好きと言っていたが、さすがにこの大きさでは持て余すな」
助けてくれたことに礼を言い始めたダンマーを無視して背を向けると、アスヴァレンは先に降りたイェアメリスたちを追って下層に下りていった。その顔はもう、いつもと同じ全く隙の無い冷静な仮面に戻っていた。
・・・
「ちょっと、これどうしたらいいのさ?!」
アッシュ・スポーンの一体に切りつけ、押し返しながらブラッキーが怒鳴っている。
灰色地区の屋上階から少女たちが降り立ったのは避難民の群れの中央付近だった。バリケードの方角を確かめていると、死者の行進が難民達の列を食い破って顔を見せたのとはち合わせた。
考える間もなく武器を振るブラッキーは、気がつくと見知らぬダンマーの戦士の横で戦っていた。感心なことに、普通はアッシュ・スポーンのような化け物が迫ってきたら逃げたくもなるはずだが、戦士たちは一歩も退いていない。ここを抜かれれば後がないのを分かっているのだ。もう一体退けると、その戦士の一人が声をかけてきた。
「おお、アズラの小さき戦士よ。加勢に加わってくれて感謝する!」
堅苦しい挨拶を投げられて、ブラッキーは戸惑いながらもメイスで敵を叩く。そしてその目は姉を探してせわしなく動いていた。イェアメリスが飛び降りたのはここよりもう少しバリケードに近い先頭付近の筈だ。他の仲間はどこだろう。一緒に降りてきたはずなのに、戦いにまみれて見失ってしまった。この乱戦では見つけるのは困難そうだ。なし崩し的に戦っていると、偶然テルミンが近くに来た。彼女もサドリを庇いながら仲間を探していたようだ。
「おう、ここに居たんだな、ブラッキー」
「ねぇさん! 良かった。他のみんなは?」
テルミンは眼帯の上から目をこすると、首を振った。「はぐれちまった。メリスは先頭の方に居るから、合流するにはそっちに行くしかねぇな」
そうはいうが、勇敢なダンマーたちがしんがりに立ってアッシュ・スポーンと戦っているのを放っていくわけにもゆかない。するとテルミンは驚いたように横に立つダンマーの戦士を見た。
「メロト、こんなところに居たんだな!」
赤い金属鎧を纏ったこのダンマーの女戦士はテルミンの知り合いであった。そして彼女こそこの場の要だというのがブラッキーにも理解できた。彼女を中心に何人かのダンマーが武器を取り、難民最後尾が崩れないように持ちこたえているのだ。
「我が友か! 助けを連れてきてくれたのだな、セラ」
「違ぇよ。偶然だって」
「だが助かる!」
大橋の上で別れてから一日半ほどしか経っていないが、二人の女戦士は再会を喜び合った。
「それから、わたしの名前は省略せずにちゃんとメロトロン・ローズソーン・インダリ・・・」
「あー、うるせぇ、いいから」テルミンは荒っぽく遮ると、悪友の肩を叩いた。「おめぇの言ってた港の悪臭、ありゃぁ当たりだったぜ」
一度はダンマー達に調査依頼が来ていた港の悪臭騒ぎ。最終的にはシャッターシールド家が受け持つことになったその調査は遅きに失していた。もう数ヶ月早くノルドたちが動いていれば、ダンマー達から仕事を取り上げていなければ、エランディルの企みは準備段階で明るみになっていたかも知れなかった。
ブラッキー、テルミン、メロトの三人はダンマー達に混じって、死者の行進を阻み続けた。アルフレドやベアトリクスもいるはずだが、それぞれ何処か他のところで戦っているのだろう、近くには見当たらない。そして見る限り相手の数は際限がなく、彼女たちはじりじりと後退せざるを得なかった。
「しかしなんだよこの渋滞。味方からも押されるじゃねぇか」
テルミンが愚痴をもらしたように、後ろからこうして圧が掛けられているにもかかわらず、ダンマー達の足は遅々として進まない。
「友よ、言いたくはないがお前の同胞達のせいだ」
「ああっ、なんだって?」
イェアメリスが上から見たように、難民たちはこの場所で足止めを食らっていた。ノルド住人たちの設置したバリケードのせいで、中央部へ進むことが出来ないのだ。
メロトがそのことを答えるとテルミンは反射的にバリケードに向かおうとしたが、新たに割り込んできたアッシュ・スポーンに手を取られて離れられない。ここを放棄したら途端に難民に押し寄せるのは明らかだった。
「こんな時にあいつら!」
このままではノルドのバリケードと死者の行進に挟まれてやられてしまう。するとブラッキーが喜びの声を上げた。ウルーモルスを倒したアスヴァレンが降りてきたのだ。
「あんちゃん!」
「よぅ、にいさん無事だったんだな」
「当たり前だ」
錬金術師は難民と死者の行進に挟まれて最前線を張っている仲間たちの状況を見回した。
「テルミン、メリスはどうした?」
「あの先頭の方に居るんだけどさ、ここも手ぇ放せなくて・・・。にいさん、ちょっと場所代わってくれない?」彼であれば抜けた穴を埋めるのに申し分ない。テルミンは頼み込むと、彼が返事をするまえにブラッキーを連れてバリケードに向かいはじめた。
「あっ、おい!」
声をかける機会を逸した錬金術師はあたりの状況を確認しようと目を走らせた。そこに、同じようにとり残されたメロトが口を挟んできた。
「おお、澄まして大物感を出している、吸血鬼を使役するテルヴァンニじゃないか!」
「・・・あいかわらずだな」
アスヴァレンは苦笑して適当に答えると、仲間の代わりに同胞たちの戦列に加わることにしたのだった。
・・・
ブラッキーとテルミンがやっとの思いで辿り着いた灰色地区の出口付近では、バリケードを挟んでノルドたちとダンマーたち住人同士がが睨み合っていた。
「これはどういうこと?! どうしてウルフリックは何も言わないわけ?!」
スヴァリスがヒステリックな声を上げ抗議している。前にブラッキーたちがこの町に立ち寄ったとき、ノルドのごろつきたちと言い争っていたダンマー女性だ。あれはほんの氷山の一角に過ぎなかった。今回は同じ構図で一触即発の空気が町全体に広がっている。
一歩も譲る気配を見せないノルドたちを相手に、灰色地区の顔役たちが交渉を試みている。バリケード越しに口角泡を飛ばし合う。
先ほど声を上げたスヴァリス・アセロンやマルシル・エレニル、そしてノルドではあるが退役軍人のブランウルフも抗議に加わっていた。
一団の少し後ろで、いつ割って入ろうかと前のめりになっていたイェアメリスは、ブラッキー達が駆け寄ってくるのを見て申し訳なさそうに目を伏せた。失敗をした子供のような顔だ。
「ごめんなさい」また勝手に飛び出してしまった。咎められても仕方がない。
「いまはそんなこと言ってる場合じゃ無いでしょ」
「そ、そうね」
違う意味で叱られてしまった彼女は、気を取り直すと仲間を確認した。ブラッキーはテルミンとサドリを伴ってきており、そして待つ程もなくアルフレドたちも合流してくる。
「メリスちゃん、無事だったか!」
「ぷぉ!」
不思議な鳴き声に振り返ると、アルフレドと甲羅が見えた。
「ええ、あら? その子・・・」
「あれ? お前ついてきたの?」
姉妹は傭兵の横にネッチの子供が浮いているのを見て異口同音に驚きの声をあげた。不思議な生物はブラッキーを認識したのか、小さな触手を嬉しそうに揺らしている。灰色地区で助けたこの子供ネッチは、この混乱の中ブラッキーを探してついてきたのであった。
イェアメリスはアルフレドとテルミンに、自分が飛び降りた訳を口早に説明した。しかしその必要はほとんどなく、何が起こっているかは一目瞭然だ。こんなものを見たら彼女が飛び出さずにはいられないことを仲間はもう十分すぎるぐらい理解しており、咎めるだけ時間の無駄だ。
ノルドたちは中央地区に繋がる緩い階段の途中に陣取っている。灰色地区との境界線。ここを押さえられたら難民たちは街の他のどこにも行くことが出来ない。説得はうまくいって居るようには見えず、そして時間もない。すぐ後ろに死者の行進が迫っていた。
バリケードの向こう側では石拳のロルフやアングレノアといったダンマー嫌いの中心人物達が見え隠れしている。
「モロウウィンドに帰れ、忌々しいダークエルフめ! ここはお前らの来る所じゃない!」
「よく見ろ、火災になっているんじゃ! そこを空けろ」
心ない罵声に眉を逆立て、サドリが積まれた障害物に手をかけようとする。すると隙間から棒が伸びてきて古物商は突き飛ばされてしまった。
ダンマーたちがバリケードに一定以上近づけないのはこのせいだ。向こうも近寄らせまいと必死だ。
「おっさん、大丈夫か!」
テルミンに抱え起こされた古物商は、鼻息荒く起き上がると服に付いた雪を払った。
「くそっ、ローセイムめ。あ奴が焚きつけておるのか!」
サドリが毒づいた相手はごろつきたちではなく、ウインドヘルムの司祭であった。
「ウルフリックの戦いは聖なる戦争だ! いまこの城は敵を迎え撃とうとしている」
その司祭ローセイムは両の手を振り回しながら演説をしている。
「ダークエルフの諸君。君たち我々の食料を食べ、同じ街を共有していながらストームクロークに協力するのを頑なに拒む。なぜだ! どうしてだ!」
まるで神の説教をするかのように、司祭は問いかけてくる。
「おい、いまはそれどころじゃ無いだろ! 化け物が迫ってるんだ!」
「聞こえないのかよ、この悲鳴が!」
堪りかねた別のダンマーが一人、障害物をどかそうと手を掛けるが、サドリの時と同じように棒を突きだされて転ばされた。彼らは逆杭や横倒しにした馬車、そして焚き火まで用意してバリケードを構築しており、その後ろには棒や槍を持ったノルドたちが構えている。イェアメリスは相手の中にストームクロークの兵士までが混ざっていることにショックを受けていた。街を守るはずの存在がこんなにはっきりと片方の肩を持つなんて・・・。
「押し寄せる帝国軍は強大。だが彼らはタロスを捨てた背教者。なにも怖れることは無い!」
抗議の声が上がる中、ローセイムはお構いなしに叫んでいる。
「ああ、無敵のタロス! あなたの慈悲と善意によってのみ、我々は真の悟りに到達することができる。ウルフリックを信じよ! なぜなら、彼こそがタロスに選ばれし者だからだ! 彼は神聖な言葉を広めるために、九つ目の神から王たれと任命されたのだ!」
「あのおっさん、なにこんな時に悠長な演説してるんだよ!」
うんざりしたように漏らすブラッキーにアルフレドが頷いた。「アスヴァレンが居なくて良かったよ。こんなの聞いたら毒とか投げつけかねん」
「ボクも同じ事考えてた」
そんなことになってはどちらがエランディルか分からない。
「だが見よ!」
ローセイムは今度はノルドの同胞達に向かって声を張り上げた。市民を煽っているようにしか見えない。
「愚かしくもこのダンマー達は有事に際し協力することを拒んでいる。あまつさえ反乱を起こし、混乱を助長せんと欲している。それを食い止めることこそ我が使命。ウルフリックの戦いを邪魔させてはならない。彼を戦いに専念させることが街の住人達の使命、そして義務なのだ!」
蕩々と空しい言葉を垂れ続ける司祭を前に、イェアメリスは拳を握りしめ唇を嚙んだ。
情報さえも正しく伝わっていない。城の外でのストームクロークの劣勢を彼らは知らない。ノルドたちにとってこの騒ぎは、帝国軍が迫る機に乗じてダンマーが暴動を起こしたように見えているのだ。
「テルミン! みんな同じ街の仲間じゃないの?!」
「あ、ああ・・・」
非難の視線を向けられた女戦士も少し信じられないといった表情だ。
隻眼の女戦士は歯切れ悪く言った。「ロルフの馬鹿にはこんな人々を焚き付けるようなことできねぇと思ってたんだが・・・ローセイム、あいつは腐ってもタロスの司祭だ。街の指導者の一人なんだ」
正しいかどうかなどは関係なく、司祭の言葉には大衆を従わせる力が備わっていた。
イェアメリスは拳を握りしめた。
人の本性は非常時にこそ現れる。ノルドすら守れないストームクロークにとって、他民族のことなど考慮の外ということか。ウルフリック達と話して分かったつもりになっていたが、現実は彼女の想像を超えていた。ウインドヘルムという街は、ノルド、ダンマー、そしてアルゴニアンという、3つの種族に跨がった根深い問題を抱えている。
ダンマー達の中にも敵意が高まってゆく。周囲の視線が痛い。難民と同じ側に立つノルドとして、テルミンやアルフレドはどう思っているのだろう。彼らも同じノルドとして情けないと恥じ入っているのだろうか。
イェアメリスは守護者である女戦士に反論した。
「あなたたちノルドについてはよく分からない。でもこれは間違ってるわ」
「お前の言うとおりだよ、メリス。これじゃぁタロスが泣いてるぜ」テルミンは頷いた。「でもそれを正そうとしているノルドも居るんだ」
彼女は必死に話をまとめようとしているブランウルフを指さした。先の大戦で戦った彼は英雄の一人で、このウインドヘルムの街ではノルドにもダンマーにも尊敬されている。しかし騒ぎに火がついてしまった今、その言葉がどれだけ人々の耳に届くか。司祭の演説を覆すほどの力を発揮できるかは怪しかった。
その横ではブラッキーが行動に移ろうとしていた。
「とにかく、あのやかましいおっさんを早いとこ黙らせないとね」
「手加減しろよ。おまえがそれで殴ったらトロールでも死にかねないからな」アルフレドが少女の黒檀のメイスを見て念を押す。
「分かってるって、死ななきゃいいんだろ」
そんなやり取りがされているのを、イェアメリスはまるで他人事のように聞いていた。
心の中での自問自答が繰り返される。なぜダンマー達は、自分が救いに来たノルドたちによってこのような目に遭わされねばならないのか、なぜアルゴニアン達は街の誰にも顧みられず、冷たい海にただの屍として浮かばねばならなかったのか・・・全然分からない。
「にいさん、踏み台になってくれる? ボクが飛び越えてあいつ黙らせてくるよ」
「ぷぉ」
「え? お前に乗れって?」
ブラッキーはネッチの子供が踏み台を買って出たことに驚いている。言葉も通じない、意志さえもあるか分からないようなこの生き物の方がよっぽど協力的だ。イェアメリスにはそんな風に見えてしかたがなかった。
顔を上げると、新たに何人かが地面に転がっている。また追い返されたのだ。見ていられなくなったイェアメリスはとうとうバリケードの前に進み出た。ダンマー達と同じように棒が突き出されて肩を打つが、よろめきながらも倒れない。そして足を踏ん張ると訴えた。
「ねぇ! あなたたち、ダンマーが死んで満足なの?! 同じ街の住人でしょ!」
返ってきたのはひどい侮蔑の混じった応えであった。
「ふざけるな! 灰色ネズミはこの街に災厄をもたらす厄介者だ。うろこ背負いと同じで、港に追い払えば良かったんだ。中央区には一歩も踏み入れさせない」
「あなたたちが蔑むそのアルゴニアンたち、港に大勢浮いてるのよ。殺されて!」
「いい気味だぜ!」
イェアメリスは怒りにぶるぶる震えながら怒鳴り返した。
「今言ったの誰! こっち来なさいよ!」
もう一度棒が突き出されるが、闘技場で培ったステップで軽くかわすとそれを掴んで引っ張る。バリケードの向こうでよろめいたノルドが気色ばんだ。「おめぇもエルフじゃねぇか、サルモールの連中もエルフだ。結託してるんだろ!」
もう何が真実かなど興味無いのだろう。感情だけが増大してしまっている。
「あなた馬鹿なの?!」
「あんだぁ? やろうってのか?」
その間もローセイムはしゃべり続けている。
「ウルフリックの戦いは聖なる戦争だ、そこにダンマーの関わる幕など無い。大王の慈悲により灰色地区を賜っておきながら、そこから出て市街に蔓延ろうとはまっこと不敬、不届き極まりな・・・」
「じゃ、いくよ!」
ブラッキーがネッチを踏み台にしてバリケードを飛び越えようとしたとき、とうとうイェアメリスの怒りが爆発した。
「いいかげんにして!!!」
彼女は掌に発生させた炎の塊を、バリケードに向かって叩きつけた。
一瞬、暗雲を突き刺すような閃光が走り、轟音が響き渡る。
逆杭や馬車が粉々になって吹き飛び、爆風が周囲の者に襲い掛かる。
見る者が見たら、まるで声秘術、揺るぎなき力のように見えたかも知れない。
彼女が唯一使える破壊魔法、火炎の呪文によって障害物は一掃され、ノルドとダンマーを隔てるものは何も無くなった。
「わぁ! ねぇちゃん!」
まさにバリケードを飛び越えようとしていたブラッキーも、ネッチから振り落とされて地面に叩きつけられた。思いっきり尻を打って涙が出る。
姉の方が先に実力行使に出てしまった。少女は姉がササーニアの首輪・・・魔法封じの首輪を身につけていることに感謝した。もしあれが無かったら仲間ごと辺り一面、まとめて消し飛んでいたかも知れなかった。
「こ、こっ、このエルフがぁ!」
少し離れた所でなんとか起き上がったローセイムが、イェアメリスに食ってかかる。その声は演説をしていたときとは違い、裏返っていた。
「し、し、死ぬところだったじゃないか!」
イェアメリスは司祭の前につかつかと歩み寄ると、その胸ぐらを掴んで金色の目で覗き込んだ。
「そんなにアーケイの元に送って欲しい?」低い声で恫喝する。
「ひぃ!」
再び尻餅をついてしまうローセイムを無視して彼女はダンマー達に呼びかけた。
「さぁ、みんな行って! 街から避難するのよ!」
硬直していた難民達がその声に弾かれたように動き出す。ダンマー達は中洲を避けて流れる川のように、イェアメリスとノルドたちの両脇を走り避難をはじめた。
イェアメリスは取り残されたノルドたちを睥睨した。
「あなたたちも行きなさい。街の住人を誘導して門から出るのよ」
ダンマー達の駆けて行く方向・・・キャンドルハース・ホールの方を指さす。その先にはイスグラモル大王の像がそびえる小さな広場があり、外へ繋がる正面の大門があった。
「バカをいうな!」
ノルドの顔役の一人が反対するが、イェアメリスは鼻であしらった。
「これは頼みなんかじゃない。命令よ。それとも、あたしが行って、あなた達の大事な像も門も全てまとめて吹き飛ばしてあげましょうか!」
「い、いや・・・」
「あたしは加減なんてできないわよ。さぁ、行って開けなさい!」
顔役はやっとの事で反論をひねり出した。
「そんなこと言っても大橋のすぐ向こうには帝国軍が来てるんだぞ」
「帝国軍はしばらく来ないわ!」
北伐軍の本陣が襲撃を受けたことをノルドたちは知らない。
「何故そんなことが分かるん・・・」なおも食い下がろうとしたとき、騒ぎが起こった。逃げるダンマー達の後方に、灰色の群れが姿を現したのだ。つっかえが取れたダンマーの難民達を追って、死者の行進が中央地区になだれ込んでこようとしている。
「うわっ! アレはなんだ?!」
先程までダンマー達を責めていたノルドも、口々に叫びを上げる。見たこともない化け物が街を闊歩しているのだ。
彼女は言葉も無いノルドたちに諭すように言い含めた。
「聞きなさい、ここと同じようなことがあちらでも起きたの。分かる? 戦いなんてしてる場合じゃないの。だから行って、早く門を開けなさい!」
事態は一気に動き始めた。
ダンマーとノルドが入り混じり、キャンドルハース・ホールを回りこむ大門へのうねりが生まれる。それを見届ける彼女のまわりには仲間たちが集まってきた。
「ほーう。いいねぇ。これ、お前がやったのか」
遅れて合流してきたベアトリクスは、大門に向かう流れを見ながら、満足そうに笑みを浮かべていた。
しんがりが不要となったアスヴァレンも遅れてやってきた。彼はしきりと尻をさすっているブラッキーを見て訝しんだ。
「どうしたんだ?」
ブラッキーは、通路に残る爆発痕を指さすと肩をすくめた。
「どうしたもこうしたも、交渉中にねぇちゃんがキレたんだって。マラキャスの斧にかけて、あやうく消し炭にされるところだったよ」
「だが、こうして生きていると言うことは、尻だけで済んだと言うことだな」
「ボクの尻をものみたいに言わないで! ホント痛かったんだから、ね」
イェアメリスは急に恥ずかしさが込み上げてきた。思わずやりすぎてしまった。
「ご、ごめん・・・」
ばつの悪い思いをしていると、「ぷぉ!」と、子供ネッチが鳴き声を上げた。
一行の緊張が少しだけほぐれる。
出遅れてしまったが、最悪の事態だけは避けられた。いよいよエランディルを追い詰めなくては。
「ぷぉ!」
もう一度、ネッチが催促するように声をだすと、彼女は顔を上げた。
「さぁ、あたし達は王宮に行かないと!」
イェアメリスは仲間に頷きかけると、中央区に足を踏み入れた。
・・・
中央区でも人々が逃げ惑っていた。
死者の行進のような明確な流れではないが、石地区や住宅街、商業地区にもアッシュスポーンが散発的に発生していたのだ。ウインドヘルムは堅牢さを売りにしているが、そのぶん内外をつなぐ経路は少ない。中で起きた騒ぎには脆弱であった。
ダンマーの難民たちはここまで一緒に来た古物商サドリとメロトに任せることにした。北伐軍の包囲が完成していない今なら、まだ住人たちは外に出ることはできる。そして万が一帝国軍に遭遇したときに備えて、ベアトリクスが一筆したためたメモも持たせた。彼女の名前を出せば、いきなり襲われるようなことにはならないだろう。
門番や衛兵も最早機能していない。
港への門が潰されてしまった今、外につながるのは正面の大橋だけ。もはやノルドもダンマーもなかった。人々は我先にと大門に群がる。その様は、さながら洪水から逃げ出すスキーヴァーの群れのようであった。
一緒に逃げ始めたノルドたちは・・・と考えてかけて彼女はやめた。
そもそもここはそのノルド達の土地。ホワイト川を渡った先、ブランディー・マグではストームクロークが街道封鎖をしているが、ダンメスでもヨルグリムでも、それこそヴェロシ山脈でもアーンソール山でも、逃げ込める場所はいくらでもある。
きっとなんとかするだろう。ここは彼らの土地なのだ。
やれることはすべてやった、難民たちに脱出の流れができつつあるのを見たイェアメリスは、辺りを見回す余裕が生まれて、久しぶりに空を見上げた。既に日は登り午前中に差し掛かっている。ここまで夢中で街路を走り回ってきたが幸い日光に焼かれることはなかった。灰色の空は雲に覆われ、マグナスを隠して薄暗い。
彼女は改めて王の宮殿のほうに目を向けた。エランディルはもう到達しているにちがいない。本来の目的に気持ちを切り替えようとしたとき、後ろで新たな騒ぎが起こった。
中央区の目抜き通り、正面大橋に通ずる大門と、王の宮殿を結ぶ城門との中間辺りだ。ここからではキャンドルハース・ホールの影になり、何が起きているのか見えない。続いて悲鳴が上がると、大門に向かう住人達の動きが止まり逆流をはじめた。
イェアメリスたちは酒場の裏手を回り込み、その場に駆けつける。
そしてキャンドルハース・ホールを曲がった先で、”それ”とはちあわせた。
「なに・・・あ、れ・・・!」
そこにはドロドロとした黒い球体が居座っていた。
人の数倍ありそうな黒い塊が。
その表面はぬらぬらとした毛に包まれており、しずくを滴らせながら光を反射するさまは船乗りが防腐剤に使うタールを思わせる。中ほどには赤く光る一対の目が明滅し、身体を支えるには細すぎる、触手のような脚は絶え間なく動いていた。
そして何よりも目を引いたのが、その上に据えられた人の胴体だ。
人馬のような芸術性など微塵も感じられない。造形師が仕事を途中で放り出した作品とでも言うべきか、なんの拘りもなく無造作に人の上半身が接続されていた。
黒いどろどろとした球体から細い手足が生え、その台座の上に人の上半身が据え付けられている冒涜的な姿かたちの化け物・・・仮面を被っているところを見ると、エランディルの取り巻きの一人が素体として使われているのだろうか。その腕は不要とばかり途中で切断されており、ゆらゆらと揺れている。何の意味を持つのか伺うことも憚られるような産物だ。
下には踏みつけられた住人が横たわっており、その顔がドラウグルのようにみるみる萎れてゆくのを彼女たちは目の当たりにした。
吸血鬼も人の命を吸うが、それは血液を通じてエネルギーを得るため、生きるために吸う。しかしこの化物はただそこに居るだけで周囲の生命を萎れさせる。食物の連鎖からは外れた負の生命力を纏っているのだ。その触手は次の獲物を求めて蠢き続けていた。これもエランディルが放った化物だろうか。この世に存在してはいけない、そう思わせるようなモノがそこにはいた。
化け物は中央区の街路に陣取り、逃げようとする住人たちをその黒い手でつかんでは、自らの球体に取り込んでいた。まるで粘菌が周囲のものを捕食して取り込んでゆくような様に一行は怖気を揮う。
「くるぞ!」
パートナーの警告に彼女は気を引き締める。
黒い塊は新たに現れた自分たちを捕食対象と捉えたようだ。イェアメリスはアスヴァレンと並び、距離を取って剣を構える。
アルフレド、テルミン、ベアトリクス、ブラッキーの四人もそれぞれ横に展開して迎え撃つ姿勢を取った。
塊は最初の標的をイェアメリスに定めたようだ。周囲の仲間には目もくれず、一直線に向かってくる。細い脚をせわしなく動かし黒い巨体がカサカサと虫のように迫るさまは、人のもつ根源的な嫌悪感を呼び起こさずにはいられない。
イェアメリスを狙って黒い塊が伸ばした触手を、アスヴァレンが切り払う。黒い飛沫が飛び、落ちた地面が変色する。相手が魔法的な代物で武器を通さないと考えていたのか、パートナーは切った剣先を何度も眺めている。同じ体液が付着しているが、どうやら剣は無事だ。
「ふむ・・・剣は通るようだな」
再度アスヴァレンが攻撃を試みる。今度は黒い胴体に付いている赤い目を狙って剣を突き出す。エオルンドの剣は正確にその目を捕えた。
「キイイイイイェ!」
マンドラゴラの叫びと聞き紛うようなつんざく絶叫が上がると、化物が一瞬動きを止める。きんきんする耳に顔をしかめながらもその隙を逃がさず、今度はイェアメリスが飛び出した。
闘技場で見せたような高い跳躍から、彼女は塊に載る上半身に切りつけた。
伸びた触手に阻まれて目的を達することはできなかったが、滑った切っ先がその仮面に引っかかる。
跳ね飛ばされた仮面が石畳に当たり、乾いた音を立てる。
(・・・!)
するとイェアメリスの動きが止まった。
露わになった仮面の下の顔。それを見たのだ。途端、住人の脱出を成し遂げた高揚感など一気に吹き飛んでしまった。温度を感じない吸血鬼のはずなのに寒気が襲ってくる。急速に気力が萎えてゆくのをイェアメリスは感じた。
「まさか・・・」
彼女は喉が詰まるような錯覚に陥った。黒い塊と同化している上半身の男、その顔に見覚えがあったのだ。
仮面の下から現れた顔は彼女の知っている人間であった。
「ヴロタール!」
イェアメリスは叫んだ。
ソリチュードで偶然知り合ったサルモール内唯一の味方。囚われの身となった彼女に何かと便宜を図ってくれた恩人。そして・・・彼女を好いてくれた男でもあった。
しかし何かがおかしい。もちろん下半身が不気味な魔物と融合させられているので当然だが、そうではない。彼女が感じた違和感はまだ人間の姿を残している上半身のほうにこそあった。
虫を思わせる下半身の素早さとは対照的に、上半身のヴロタールはゆらゆらと揺れている。重さに振り回されているだけのような、意志の介在しない、やけに緩慢な動きだ。アルトマーの筈なのに蠟のような顔色もおかしい。イェアメリスは理解すると、背筋が寒くなった。
ヴロタール、彼は・・・死んでいた。
上半身は多脚の動きに合わせて慣性で揺れているだけの蝋人形だった。博識なものか漁師であればこう形容したかもしれない。チョウチンアンコウの竿のようだと。
「メリス! どうした!」
アスヴァレンの声が飛ぶが、イェアメリスは動けなかった。ヴロタール、だったもの、その黒い触手がのたくるのを眼前に硬直している。
仮面を剥がされたヴロタールの方も彼女を観察しているのか、黒い塊も動きを止めた。
イェアメリスは反撃を忘れたかのように、剣をだらりと下げた。
そして疑似餌につられるように一歩踏み出す。
黒い塊の上に載ったヴロタールは、まるで彼女を指名し、手招きしているようだった。
「よせ、やめろ! 取り込まれるぞ!」
制止するアスヴァレンをすり抜けて進み出るイェアメリス。その目の前でヴロタール・・・ヴィ[V]は彼女に向かって伸びあがった。
「止まれ化け物!」
交差する叫び声と共にアルフレド、テルミン、ベアトリクス、ブラッキーが左右から四本の武器を突き出す。イェアメリスに迫ろうとしていた塊はつんのめるようにして動きを止めた。そこに飛び出したアスヴァレンが、塊と胴の間を両断した。
スカイフォージの鋼で下半身と分断されたヴロタールの上半身は地面に落ち、一回はねるとイェアメリスの前に転がった。
呪縛が切れたかのように、イェアメリスはぺたんとその場に尻餅をついてしまう。目の前に横たわる土気色の人形に目を奪われる。
「そんな・・・あなた、どうして・・・」
男は既に死んでいる。応えなど返ってくるはずも無い。
しかし驚きと恐怖に手が出せない中、奇跡が起こった。
ヴロタールの目にわずかな正気の光が宿ったのだ。
ソリチュードの闘技場。誰にも語られることの無い失敗したもう一つの救出劇。イェアメリスを救い出そうとしたが密告により失敗したサルモール司法官。ヴロタールは捕らえられてしまった。逃走の画策と幇助が重罪である事までは分かっていたが、そのまま地下牢に繋がれてしまったイェアメリスには、気にかけようともそれ以上を知る術が無かった。
彼女が知っているのはここまでであった。しかしそれで終わりではなかった。
イェアメリスと同じように捕らえられたヴロタールは、彼女とは違いエレンウェンによって処刑されていた。しかしその後、彼は原籍である神秘省に引き取られエランディルによって”調整”を施されることになった。そして特務官の忠実な側近の一人ヴィ[V]として生まれ変わり、使役されていたのだった。
ヴロタールは虚ろな目を横に向けてイェアメリスを見あげた。
蝋人形のような身体。
「・・・良かった。呪いは解けたんだな。あんたが生きているのを見れただけでも、オレは満足だ」
切断された胴からは血さえも流れていない。しかしそこから発せられた声には明らかな意志が宿っていた。
ようやくイェアメリスは我を取り戻した。
「ヴロタール! こんな、こんな姿に・・・」
自分も充分に化け物になったと思っていたが、彼の境遇に較べれば些細なことに感じられてしまう。懲罰として死霊術により蘇生されたうえに、こんな化け物に魂を縛られるなんて・・・。
「何か手が・・・そうよ、あたしが嚙めば! 血を吸えば・・・」彼女は必死になって呼びかけた。
彼女の呼びかけに、ヴロタールは少し表情を綻ばせたように見えた。
「そうか・・・あんた吸血鬼に。だが、だめだな。俺はもう死んでる。知らないのか? 死人は噛まれても吸血鬼にはなれないさ」
「そんな!」
「あそこに転がっている俺の”下半身”が見えるだろ? もうどこまでが自分でどこまでが他人かもわからない」
「魂が侵食してくるのがわかる、もう自分であって自分でないんだ」
「うう・・・」
イェアメリスは夢中で頭を回転させたが、答えは見つからなかった。
仲間たちも声をかけることが出来ない。彼らもただ、その惨たらしいサルモールの成れの果てを見おろすことしか出来なかった。
「手遅れだよ。今の俺はエランディルのマジカによってあの化け物じみた体にかろうじて魂が繋ぎ止められているんだ。あれには血肉なんかない、ただ生命を取り込み消滅させるだけの化け物だ。街を襲っている哀れな灰の化け物のほうがまだマシさ。だが、そこのダンマーが切り離してくれたから、もうじき俺は死ぬ。死ねる」
「どうしたら・・・どうしたら・・・」
「どうもしなくていい。滅びの間際に、こうしてあんたの元気な・・・顔を見られただけで十分。もう思い残すことはない・・・」ヴロタールだったものはかすれそうな声で祝福した。「あんたにはまだ先がある。その行く先に幸在らんことをわが神アーリエルにかけて祈るよ」
娼館でのひとときでも思い出しているのだろうか、ヴロタールは一つ深呼吸すると、最後の力を振り絞るように頭を動かした。彼は自分を切り離したアスヴァレンに目を向ける。
そして得心したように微かに頷いてみせた。
「ああ、そうか・・・あんたがそうなんだな」
悲しそうな、そして満足そうな顔に見えたのは気のせいだろうか。
「イェアメリスを護って、やってくれ・・・」
アスヴァレンは無言で頷いた。
そしてエオルンドの剣を逆手に携える。
イェアメリスは、彼がヴロタールの眉間を刺し貫くのを、目を離さずに見届けた。そして・・・かつて司法官だったゾンビは灰の山となって崩れ落ち、二度目の死を迎えた。
ヴロタールが灰になると、下半身の肉塊も澱んだ液体となって雪を汚す。
後には灰の山と、彼の身に付けていた仮面だけが残された。
「人の命をもてあそびやがって、反吐が出るな」
何か言わずには収まらないといった様子でベアトリクスが吐き捨てる。
沈黙に耐えかねたように、他の仲間も口を開き始める。
「ボク、なんか気分悪いや・・・」
「ああ、エランディルってやつには会ったことないが、アタイにもはっきりとわかる。これは”悪”だ、って」
イェアメリスは無言のまま、灰の山を見つめ続けている。
アスヴァレンは仮面を拾い上げると、ヴロタールであった灰に歩み寄った。
彼は無言だ。
期せずして初対面の恋敵に遭い、その最期の引導を渡すこととなった錬金術師は、黙祷でもあるかのようにしばし動きを止めた。
そして灰の山の上にそれを置く。まるで墓標を作るかのように。
アスヴァレンが寄り添って来るのをイェアメリスは感じた。
「大丈夫か? と聞くのは酷かもしれんが・・・」
冷えきった身体に相手の体温が浸透してくるのを感じる。いたわりの言葉を途中で遮ると、イェアメリスは思い出を振り払うように頭を振った。
「行きましょ。エランディルを止めないと!」
本当にもう終わらせないとならない。
彼女は毅然と言い放つと立ち上がり、睨みつけるように王の宮殿を見据えた。
・・・
ヴィを倒すと、避難の流れを妨げるものは無くなった。
再び市民たちが大門の方へ逃れてゆくのを見送ると、イェアメリスたちは王宮に急いだ。すぐに後ろからは死者の行進が追いついてくるだろうが、今は相手にせず前に進むしかない。
「よぉ、これで後顧の憂いはなくなったってやつだな。エランディルのくそ野郎を追うほかに気に掛けるこたぁ何もねぇ、そうだな」
「ええ、そのとおりよ!」
ベアトリクスに応えながら、彼女は宮殿前の広場に駆け込んだ。ここは宮殿から両わきに伸びた翼棟や、衛兵詰め所の高い壁に囲まれて、まるで中庭のように見える空間になっている。籠城戦において侵入された場合、最後の守りとなる場所だ。
二日前に、サドリの入城手形が無効だとかで衛兵と押し問答したことが記憶に新しい。しかしいまここは静寂に包まれていた。
ストームクローク達はここに防衛線を張ったようだ。ようだ・・・というのは、既に広場が無人になっていたからであった。
イェアメリスたちが足を踏み入れたとき、この王の宮殿の前広場はすでに防御線が突破されたあとのようで、ストームクロークの死体が散乱し、宮殿の扉は瓦礫にふさがれ燃えていた。
「まいったな、これでは中に入れない」
若き傭兵が宮殿の扉に目を向けて呟く。
ブラッキーの方は周囲の壁を見上げている。
「やっぱり下に降りたのはマズかったかな?」
「いや、そのまま進んで仮に王宮に入っていたら、エランディルを倒せても街は全滅していただろう。何が正解で何が間違いか、アズラの叡智にも見通せぬことはある」
この状況にイェアメリスはすこし責任を感じずにはいられなかった。アスヴァレンの言うとおり、バリケードを壊し住人を避難させたのは間違ってなかったと思っている。しかし宮殿の扉は使えない。この隔絶された区画は驚くほど静かだったが、後ろからはじきにアッシュ・スポーンたちも現れるだろう。急いで次の手を考えなければならなかった。
イェアメリスは辺りを見回した。この広場は宮殿と兵舎、内部まで入り組んだ城壁に囲まれてまるで闘技場の底のようだ。
「屋根に上がれないかしら」
「上に? ここからでは無理そうだな」
「そうじゃなくて戻って・・・」
「化け物の中に?」否定的なアスヴァレンの横でブラッキーが荷物をまさぐり始める。
しかしすぐに放り出してしまう。使えそうな道具は見当たらなかった。
「うーん、港からロープでも持ってくれば良かったなぁ・・・」
「ぷおっ!」
顔のすぐ横で、子供ネッチが声を上げるとブラッキーは驚いて飛び上がった。「わぁっ! お前、びっくりさせるなよ」
ネッチは触手をしきりに上下させている。
「え? お前・・・」
主張するように揺れながら鳴き声を上げる子供ネッチに対し、ブラッキーはまるで相手が人間であるかのように問いかけた。
「もしかして、乗れっていうの?」
「ぷぉっ!」
まるで意志が通じているかのようなネッチの行動に、イェアメリスは遠くソルスセイムで過ごした子供時代を思い出した。そこではネッチは人に飼われて、荷物の運搬や移動に使われていた。
「じゃぁ、試しにいったんそこの兵舎に上がって・・・」
うまくいくかどうか、最初はブラッキーが一人で乗り心地を試す。ネッチは少女を乗せると頼りなくふわふわ上昇を始めた。やがて屋根の高さに到達した少女はネッチから城壁に飛び降りた。
「うん、時間はかかるけどいけるよ!」
道は開けた。
続いてアスヴァレンが甲羅の上に乗ると、子ネッチは上昇を始める。
なんとか運び終えて再び降りてくるネッチ。
「次はメリスだ」ベアトリクスが言うと、彼女を甲羅の上に乱暴に押し上げた。人間のような重いものを載せられて少し疲れたのか、ネッチは踏ん張っているようにプルプル震えている。その様子をやきもきしながら仲間は見守った。
「それにしても、何回屋根に上るんだろうね、今日は」
「天気が悪くて助かったわ。晴れてたらあたし今ごろ焼け死んでいたかも」
イェアメリスはアスヴァレンの手に引き上げられ、城壁上にたどり着いた。
「しっかし、ひでぇなこれ」
少し離れた奥、広場の状況確認をしながら順番を待っているテルミンが呆れたように言った。扉の近くにストームクロークたちの死体が散乱している。
火傷に裂傷、肉片になって飛び散っているものまで、どれもこれも損傷がひどく、ここで繰り広げられた戦いの凄惨さを物語っていた。
「ん? こいつらは?」
僅かな違和感を感じてテルミンが立ち止まった。
扉の近くには二人の女が地面に倒れている。ノルドのようだが服装が他の者たちと違って古く感じられる。周りには特にストームクロークたちの死体が多かった。目を見開いた女達はストームクロークたちに混じって同じように事切れていた。
「テルミン、気をつけろ」
次に載せる者のため、ゆっくり降りてゆくネッチを見下ろしていたアスヴァレンが警告の声を発した。広場の奥で何かが動くものに気付いたらしい。イェアメリス、そして仲間たちの視線が言われたところに集中する。塞がれた宮殿の扉近くの篝火に黒い霧が凝縮し始めていた。
霧はどんどん濃くなってゆく。まさか、先ほど屠ったヴィのような黒い塊が現れるのではないか、そう思わせるような密度だ。すると突然声が響き渡り、彼女たちは度肝を抜かれた。
「ゲゲ・・・何をしているジェミノス、この痴れ者どもを・・・ゲ・・・切り刻め!」
空中に浮かんだ黒い霧の中から牙を持つ影が顔を出して、耳障りな声で命じたのだ。
「もっと肉を集めるのだ。ゲゲゲ。そうすれば貴様たちの身体は、ゲ・・・あの方が修理してくださる」
黒い影は何か獣の頭部でも象ったようにも、牙が生えているようにも見える。
炎の背後に揺らめいているのだが、まるで灯りに照らされる様子が無い漆黒だ。
子ネッチはようやく下に降りたところだ。城壁上に三人。残りも三人。ようやく半分だ。その残された三人の眼前で、異変は起きた。
何か嫌な予感を感じてテルミンは後ずさり、アルフレドとベアトリクスに合流する。彼女たちの目の前で、倒れていた二人の女がゆらりと立ち上がろうとしていた。
エランディルの使い魔だろうか。
「なんだ?」
ベアトリクスが驚きの声を上げると、影は現れた時と同じように唐突に消え去った。
「死霊術?!」
アルフレドが素早く剣を構え、油断なく身構える。その様子をイェアメリスたちは城壁上から見守った。
死体をかき分け女達は起き上がると、まるで寝起きでぼんやりとしたように辺りを見回した。
「ねぇさん、まだ動くものがいるわ」
「そう。おかしいわね」
一人は闘技場の戦士のように肌も露わな革鎧を纏った女で、その身体の各所には縫い目のような痕が走っている。姉と呼ばれたもう一人は魔術師だろうか。纏った豪華なローブは束ねた髪と対照的な深い紺色であった。
「この街にいていいのは同胞団の仲間だけよ」
「ええそうね、エルフもいるわ。殺してあげなくっちゃ・・・」
二人の女はこちらに目を向けるが、その目は白く濁っており、ひどく病的だ。見るからに普通では無い。彼女たちは、ゾンビであった。
すると、女戦士の顔が急に歪んで叫びを上げ始める。
「イタイイタイイタイイタイ・・・! 接イだ骨ガ痛ィ!」
女戦士がうずくまると、その身体をかきむしり始める。「・・・縫合あとがジュクジュクするの! 耐えられない! イタイ痛いイタイィ!! 助けて、フロア姉さん!」
すると女魔術師は、同じように顔を歪めながらあやすように言った。
「ああ! わたしの可愛いグロスタ! 人間の血・・・血のお風呂に入るの! 血ィ! それで癒やされるのよ!」
二人のやり取りを聞いたアルフレドが後ずさるのを、イェアメリスは城壁上から見た。傭兵はショックを受け思わずテルミンにぶつかってしまい、支えられている。
「まさか、この二人って・・・!」
「にいさん、知りあい?」
「いや、そうじゃない。だが・・・聞いたことないか?」傭兵はジョルバスクルで読んだ同胞団の歴史をつづった書物、”帰還の歌”を思い出していた。
「フロアとグロスタ・・・最初の盾の姉妹の名だ」
「まさか、こいつらがそうだってのか?」
恣意的な力が働かない限り、知らない限り、この二人の名前が揃って現れる事はない。
目の前の二人は、イスグラモル大王と共にアトモーラから帰還した最初の同胞団の一員、盾の姉妹であった。
「そんな・・・英雄達を・・・」
エランディルはイーストマーチの山中に葬られていた二人の遺体を掘り返し、他人の皮肉をつなぎ合わせて蘇らせた。そしてヴロタールの[V]と同じように、この双子ゾンビにジェミノス[G]の銘を与え、配下として使役しているのだった。
無理やり眠りを妨げられ、腐りかけた肉体に押し込められたせいか、ノルドの双子姉妹の精神はすでに崩壊しかかっている。
ショックを受ける傭兵達の前に、姉妹の叫び声が響き渡る。
「ああ、ヤメテ! 内臓庭園はもうイヤァァァ! アタシの肉を返してぇ!」
「ねぇさん、こイツらの血デ、こいつラの肉ト皮デ、また補強しナクちゃ・・・エランディルさまに治してモラワなきゃ・・・アタシが壊れちゃうぅ! 殺シましょ、ねぇ、殺しマしょォ!」
姉妹の濁った双眸が、広場の侵入者達を捕らえた。
「ええソウネ。アタシはこの若いおいしソウなのを頂クわ」
「アタシはこっち。肉は少ナソウだけど、いい皮ト腱ガ獲れるわ。左肘が突っ張ルのよ。付け替えテ貰うの!」
姉は冷気を身に纏いマジカを集め、妹はねじくれた禍々しい剣を抜き放つ。
かつての盾の姉妹がゆっくりと襲いかかってくる。テルミンが鎚を構え直すと、ベアトリクスがアルフレドにハッパをかけた。
「おい、アルフレド、大丈夫か? 震えてるじゃねぇか」
「違う、これは怒りだ! 俺たちの英雄を冒涜したサルモールに対しての」
「ならいいが、ずいぶんな女たちに目をつけられたな」
「ああいうのは好みか? 妹か? 姉か?」
「マッドゴッドみたいなこと言わないでくれ。オレには嫁もいるしこれから子供も生まれるんだ。帰ったら・・・」
「おっと、そういうのはやめた方が良いぜ。かも知れない話はアーケイを呼び寄せるって言うからな」語気荒く言い返す傭兵を女騎士は遮った。
「じゃあどうしろって・・・!」
ベアトリクスはニヤリと笑った。
「タロスだよ、ここはノルドの王都。タロスを崇めるストームクロークの本拠地だろ? そこの神さま拝まずに他の何にすがるってんだよ」
「帝国軍の隊長の台詞とも思えないな」
「4紀の頭まではそれが普通だったらしいじゃねぇか。それに、いま隊長は辞めてんだ。オレはメリスの剣だからな」
言い合ううちにアルフレドの身体から硬さが抜けてきた。
それを見て女騎士は若き傭兵の肩をドンと叩く。「行けるな? ほら、狂い女どもが来るぜ」
降りてきた子ネッチを後ろに追いやると剣を構える。
中央にはアルフレド、反対側にはテルミン。姉妹が襲いかかってくるのを三人は迎え撃った。
本当に寝起きなのだろうか。
振る舞いから油断をさせるなどと言う手管をゾンビが使えるとも思えないが、グロスタは恐ろしい剣の使い手であった。そしてフロアの方も、強力な氷魔法の術者だ。
「ノルドは魔法が苦手なんじゃなかったのかよ!」
「最近はな。アトモーラン(移住者)たちには当てはまらない」
「デイゴン(くそっ)、厄介な・・・」
ジェミノスは崩れかけゾンビにも関わらず、しっかりと連携の取れた戦い方をしてきた。剣闘士の経験からイェアメリスは、この女たちが一筋縄でいかないことをすぐに理解した。
彼女は足下で戦う三人を見ながら無意識に剣の柄を握りしめたが、城壁上のここからでは手が出せない。
「にいさん、大丈夫か?!」
ネッチを庇いながらテルミンが怒鳴る。
ゾンビの女戦士フロアを相手にするアルフレドの横では、ベアトリクスが姉のグロスタ相手にけん制していた。
グロスタのほうは魔法を使ってくる。油断のならない相手に、なんとか打開策を得ようとあがく三人は、背後に新たな騒音が近づいてくるのを感じ取った。とうとう宮殿前の広間にアッシュスポーンたちが到達したのだ。
「くそっ、こんな時に・・・」
アルフレドが二人の仲間とネッチを交互に見やる。女戦士と女騎士は貴重な戦力だ。
「残念ながら全員上がるには時間がかかりすぎる」彼はフロアの氷魔法を剣でたたき落とすと、続くグロスタの斬撃もはじく。二人をまとめて相手取らんとばかり、身体を割り込ませた。「俺が食い止めるから、お前たちは先に行け。メリスちゃんたちを頼む!」
一瞬の逡巡が仲間たちの中を走り抜ける。
声を出そうとしたのはテルミンだろうか、ベアトリクスだろうか。しかしそれは新たな轟音にかき消されてしまった。
死者の行進の先頭に信じられないものを見たのだ。
異常に膨れ上がった左腕、対照に反対側の右腕は肩から先がない。エランディルの放った異形の戦士ウルーモルスであった。
「あれを!」
イェアメリスの指さす先、踏み込んできた巨体にアスヴァレンも目を見張っている。「奴は確かに倒したはず・・・」
「アッシュスポーンみたいにいっぱいいるのかも!」
「馬鹿言うな、あんなのが何体もいてたまるか」
「じゃあなんなのさ!」
手の出せない城壁上の彼女たちは、下の仲間に絶望が迫るのを理解した。しかしここからでは見ていることしかできない。
アスヴァレンが珍しく毒づくのが見える。
「くそっ、痛みは感じていなかったときに気付くべきだった。奴は死人か不死身だ」
姉妹は目を見合わせた。
「不死身って、もしかしてあのマスクロフトみたいな?」
かつて戦った闘技場のグランドチャンピオンは、サルモールの改造兵士であった。それに似ていると指摘した彼女たちの推測は正解であった。[U]の銘を与えられた異形の戦士ウルーモルスは、マスクロフトを生み出したサルモールの強力な魔術師、アーチェロンの作であった。尤も、失敗作としてエランディルに譲渡された素体であったのだが、不死の特性は酷似していた。
「あいつらのことだもの、似たようなのが居てもおかしく無いわ。ねぇ、アスヴァレン、どうすれば・・・」
ウルーモルスは戦士としての技量はないに等しい、だが異常に大きな腕から繰り出される一撃は破壊的だ。見境なく周囲を破壊しまくるその性質はとても乱戦向きで、ネッチを守りながら厄介なジェミノスと戦う間、片手間に相手できるようなものではない。巨大なこん棒が当たれば子供のネッチなど簡単に粉砕してしまうだろう。
行く手にジェミノス、後ろからはウルーモルスとアッシュスポーンの群れ。三人は宮殿前の広場に閉じ込められてしまった。
「あれだけでも厄介なのに、もう一匹かよ・・・」テルミンは肩をすくめると、さっぱりとした顔になった。
「にいさん一人じゃ荷が重いだろ。アタイも手伝ってやる」彼女はそう言うとイェアメリスに目配せを送ってきた。そしてベアトリクスの肩を叩く。「にいさんとアタイでこいつらまとめて面倒見てやる。だからお前が行きな!」
抜き差しならない状況の中、テルミンなりに考えて出した決断であった。これから先に待ち構えているものを考えると、戦闘専門がブラッキー一人では心許ない。イェアメリスもアスヴァレンも戦えるとはいえ、強力な戦士がもう一枚必要だ。
「いいのか?」
女騎士は油断なく見回しながら答える。
「ああ、メリスの剣(つるぎ)役は譲ってやる」
「しっかり頼むぜ、女騎士!」
「誰に言っている。安心しろ、すべて切り倒してオレが道を作ってやる」うなずくと女騎士はネッチに飛び乗った。
「ぷぉっ!」
荒っぽいしぐさに抗議するような鳴き声を上げると、ネッチは力を振り絞ってベアトリクスを持ち上げ始めた。甲冑で完全武装のベアトリクスは一番重い。
「お前もあとちょっと頑張れ!」
テルミンがネッチをポンポンと叩くと、ベアトリクスは上昇し始めた。
見送ると背後のウルーモルス率いる灰色の軍団に向き直る。
「アルフのにいさん、これを!」
城壁上でブラッキーが怒鳴ると杖を振り上げた。サングインの薔薇だ。これでデイドラを召喚すれば戦いは有利になるはずだ。
しかし見上げたアルフレドは大きく首を振ると、しまえと叫んだ。
「それは切り札だろ。こんなところで使うんじゃ無い。メリスちゃんのために使うんだ」
「そんな!」
ベアトリクスを乗せたネッチがゆっくりと上がってくる。イェアメリスは何もできないまま、その時間が永遠のように長く感じられた。
「アルフさん! テルミン! ああ・・・!」
盾の姉妹を相手取ったアルフレドと、後ろのウルーモルス、そして死者の行進を受け止めようと構えるテルミン。絶望的な状況を上から見つめるイェアメリスは激しく揺さぶられた。上ってきたベアトリクスに肩をつかまれたのだ。
「ぐずぐずするな。行くぞ、イェアメリス!」
「でも! アルフさんたちが・・・」
掴まれた肩が砕けるかと思うぐらいの力を込められてしまった。
「行、く、ぞ」
女騎士の形相に、イェアメリスは無理やり視線を眼下から引きはがした。アスヴァレンとブラッキー。仲間の顔も同じように厳しい。だが進む方向は一つしかなかった。
「あの窓を割れば入れそうだな」
事務的に発せられたアスヴァレンの言葉にうなずくと、彼女たちは城壁から屋根に飛び移り、王の宮殿の上層に進んでいくのだった。
・・・
残された広場で、傭兵と女戦士は戦い続けていた。
アッシュスポーンを一体屠り、ウルーモルスの槌を避けながらテルミンは仲間の姿が消えたのを確認して息を吐いた。
アルフレドはようやくジェミノスの片割れ、女魔術師フロアを倒したところだ。ゾンビの英雄は再び動かぬ身体となって足下に横たわっている。一息つくように二人は背中合わせに肩を寄せ合った。
「まさか古の同胞団と戦うことになるとは」
「これだけの敵だ。ドラゴン狩りに行けないのだけは残念だけどよ、まぁ相手としては悪くねぇんじゃね?」
「フ、そうだな」
二人とも冗談を飛ばす気力は残っていたが、体力の方は底を突いていた。避難民のしんがりで戦っていたときと同様に、アッシュ・スポーンの数に際限が無いのだ。ウルーモルスの乱暴な攻撃を掻い潜りながら10体までは数えていたが、そんな余裕も無くなってきていた。
「嫁さんたちはよかったのかい?」
「ああ、もう名前は決めてあるからな」
アルフレドは足を動かしながら女戦士に答えた。住人たちはうまく逃げられただろうか、イェアメリスたちは・・・そして戦いながら故郷のホワイトランを思い出していた。
他人事のように流れてゆく光景を振り払うと、横で隻眼の女戦士が獰猛な笑みを見せている。
「まだいけるかい、にいさん」
「当然だ。ソブンガルデの門はこれぐらいじゃ開かない」
「ならこじ開けるまで!」
ノルドの本分は戦いだ、文明の地に根付いて忘れかけていたアトモーラン・ヴァイキング・・・征服者の血が自分にも流れているのをアルフレドは再認識した。彼は祖先に力を分け与えられたような気がして、獰猛な笑みを浮かべた。
「最後に、サーガに謳われるような戦いを残してやる!」
「付き合うぜ!」
数瞬後、二人の姿は死者の行進にのまれて見えなくなった。
(◆Chapter 2-38 謳われざる戦い〈中編〉に続く・・・)
※使用modなど
後編にまとめて掲載